裸の爪先




 涙というものはそう簡単に出ないものなんですよ、枕に顔を押しつけるようにしてリザは言った。
「…それは今まで君がいとも簡単に涙を流して喘いでみせたことへの言い訳かね、中尉?」
「違います。事実と食い違いすぎた勘違いは最低ですよ、大佐」
「君は何かと手厳しいな」
「そうでもないですよ」
 ロイはリザの表情を窺ってやろうと、くぐもった声をどうにかするために挑戦する。
「しかし君が何も言わないのなら私は誤解を真実に変えてしまうよ」
 リザは腹に絡みついた腕をどうにかしようとするけれど、男の力には勝てない。
「どういうことですか」
「理由を言いたまえ、ホークアイ中尉」
 リザの質問には一切答えず、少し、いやかなり冷たい声音でロイは言い放つ。
「プライベートでそんな喋り方はやめてください。今にも上官命令に従ってしまいそうになります」
「上官命令?強要する気はないのだが」
「公における貴方の言葉はすべて命令です。戦場では特に」
「ベッドの上は戦場かね」
 ロイは笑う。リザにはとてもではないけれど、笑う余裕なんて無いのに。
 ロイは変わらず枕に顔を押しつけるリザの腹に回した腕に力をこめて、自分の方に顔を上げさせる。
「あんまりうつぶせでいると胸が潰れる」
「潰れませんよ」
 そうか、ロイは呟いてリザのこめかみに舌を這わせる。
「まだやるんですか?」
「嫌なのかね?」
「ええ。疲れました」
「君私より若いのにそんな」
「仕事で疲れているんです」
 バリーと出会い、ロイに気付いたことができてから、ほとんどの通常業務をこなしているのはリザだ。
「…君には悪いと思っている」
 ロイはリザの髪を撫ぜる。
 すべらかでゆるやかなきんいろ。
「…言わないでください」
 リザは自分の髪をいじるロイの手を取り、指の先に口づける。
「悪いとか、そんなことを言わないでください。選んだのは私です」
 責任なんて誰にもないのです。きっと、誰にも何も。
「ただ――私の部屋にふらっと来ては倒れこむのはどうかと」
「……すまない」
「いくらでも、思うままにしてくださっていいんです」
 リザは溜め息を吐く。ロイが本当に申し訳なさそうなのでどうにもくじけそうになってしまう。
「ただ、私が性欲処理の道具にされている気が」
「それはない」
 ぼやくリザに、ロイは即答する。
「それはけして無いよ」
 どちらにしろ、呟いてリザは髪をかきあげる。
「私はただ貴方に従うだけです」
 そう仕向けたのはロイだし、そう選んだのはリザだ。離れるつもりはなかった。離すつもりもない。
 髭くらい剃ればいいのに、と思いながらリザはざらついた顎を舐める。
「犬のようだな」
「はい?」
「君は」
 リザはロイの首に手を這わす。
「貴方の犬は貴方を信じることしか知らないんです。ご存知ではありませんでしたか?」
「いいや、知ってたよ」
 知ってるよ。
 彼が一言声を出すたびにそれが大きな力となって降ってくる気がする。絶対的な何かがそこにあって、逃れることもできずにただ受け入れるしかないような、そんな。
 ロイはリザに口づける。開いた口腔から覗く舌を絡め、吸い、舐めとる。
「大佐」
 ああどうかこの人が安らかでありますように。
 叶いそうもない願いを心から思うようになったのはいつからだろう。もう随分と前のような気がする。
 彼はきっと困難を選ぶだろう。
 死んだ彼の親友のように、自らの肉体を追い求める兄弟のように。
「将来の夢を――」
「ん?」
 ロイの手が胸をまさぐり、唇が首筋に移動する。
「小さな頃から、夢なんてなかったんです。それどころじゃなかったし、希望を持って落胆するのが嫌だった」
 リザはロイの肩に手を置く。拒絶の意志でも続行の意志でもないけれど、彼は自分勝手に解釈することだろう。
「貴方に憧れました。私には無いものをすべて持っている気がして」
 ロイの手が止まる。顔を上げて、リザを覗き込んだ。
「けれど違いました。貴方は何も持っていなかった。私も。何か、確かなものを持っている気がするだけで、本当は何一つ持っていなかったんです。私はそれが悲しい」
 わたしはそれがかなしい。
 何を言っているのかわからなくなってきた。ただとにかく悲しくて痛くて、どうしようも無いのだ。堪えきれないのだ。それでも、涙は流れないけれど。
「君は、私と出会って後悔しているかね?」
「いいえ」
「では君は、私のために生きることを良しとしないのかね?」
「――いいえ」
「では何故、君はここにいる?」
 惰性という答えは無しだ、彼は最初に断わった。
「…共に生きたいと思ったんです。今もそう思います」
 こんな答えを言われたら、自分なら殴る。リザはそう考えて歯を食いしばった。
 ロイがリザを殴るとは到底思えなかったけれど、もしかしたらそういうこともあるかもしれない。
 それならいっそ消えてしまおうと思う。彼が女を殴るなんてそんなこと、ほぼありえない。
 それだけのことを彼にさせてしまうということは、リザがそれだけの過失を犯したということだ。きっと彼は許すだろう。しかし彼女は許せない。
「リザ」
 これ以上ロイの顔を見ていられなくなってリザは目を閉じた。
「私は怒っていないよ」
 どうして。
「君の言うことはこの上なく真理だ」
 それでも否定してみればいい。自分が侮辱されたようなものなのに。
「ここにいるためにはどうすればいいか考えたことがあるかね?」
「貴方は質問ばかりです…っ」
「君は怒ってばかりだ」
 怒ってなどいない、そう言おうと思ったけれど声は出なかった。
 今のこの状態を差し置いて、自分はいつ怒っていると言うのだろう。
「文句ならいくらでも言えばいい。君だってそういうときはあるだろう」
 ああどうしてこの人は。
「そんなことをしているといつか傷つきますよ」
「もう傷ついた」
「…申し訳ありません」
「何か謝ることが?」
「……ごめんなさい」
「リザ」
「名前、呼ばないでください」
「今はプライベートだ」
「それでも」
 リザは、どうしても今だけは、ロイの口を塞ぎたかった。これ以上惨めになりたくなかった。自分が汚いもののように感じたくなかった。
「ロイ」
 リザは何か言葉を発しようとした彼を制するように言った。そして口づける。
 噛み付くように乱暴なキスはいっそ安らかで穏やかだ。何も考えずに済むのがいい。
 リザはロイの頭を抱え込むようにして、彼の髪を梳く。
 震えが走った。
 硬質な鋭い髪はすべてを傷つけるようにちくりと蠢く。
 唇を離し、息を整えると、リザは一言言い放った。
「最初で最後です」
 名前を呼ぶのはこれが最初で最後。
「君は頑なだな」
「頑ななのは大佐です」
 痛みを覚える指先に慣れてしまうだなんて、なんて愚かだこと。
「それでも君は優しいな」
 ――違う。
 優しくなんてない。
 優しいとしたら、それは他の誰でもなく貴方。
 涙が零れそうになった。
「優しくなんてありません」
「優しいよ」
 ロイはリザの胸に顔を埋める。
 女は卑怯だ、リザは思う。女は卑怯だ、こんなとき、快楽に溺れてしまえばいいと思う。こんなとき、このまま男にすべてを委ねてしまって後は気だるい空気にすべてを任せてしまえばいいだなんて思ってしまう。
「男に生まれたかった」
「君が男だと私が困る」
「どうして」
「男と寝る趣味は無いんだよ」
「そうなんですか?」
「……君ねえ」
 目に涙が溜まるのを感じた。声がひきつったようでうまく出ない。
「泣きたいなら泣けばいい」
 ロイはきっと親切でそんなことを言うのだろうけど、その言葉の脅威を彼はけして気づかない。
「泣けませんよ」
「私は好きだがね、君の泣いてるところ」
「見たことありましたか?」
「つい先程まで、いとも簡単に涙を流して喘いでみせたのはどこの誰だったかな」
 生理的な涙と感情の涙を混同するなと言ってやりたいけれど、彼はそれもまた自分のいいように解釈してしまうのだろう。そんなことはわかりきっていたので、とてもではないけれど何も言うことができなかった。
「このくらいのことでは泣けません」
 涙なんてそう簡単に出てくるものではない。だからいとも簡単にぼろぼろと泣く羽目になってしまうあの行為はとんでもないものなのだ、それを彼は思い知るといい。
「まあそういうことにしておこうか」
「そういうことも何も、事実ですよ。マスタング大佐」
 ロイは不満そうにリザを見つめる。どうも名前で呼んでもらえなかったことが不満だったらしい。
「最初で最後と申し上げたはずですが」
 リザはロイの肩に手を置く。今度こそは制止の意味で。
「大佐」
「君が饒舌なのは珍しいな」
 いつもは何も言わないのに。
「何かあったかね?」
「いいえ、何も…」
「秘密主義は過ぎると疑いを招く。気をつけたまえ」
 疑いを招くと言いながら、彼はけして彼女を疑わないのだ。大きな矛盾は確かな信頼に支えられていた。それが彼女の望むことであってもなくても。
「大佐」
 萎えた、とばかりにロイはリザの上から離れる。心地良い温もりと重みが消えたことにリザは少々戸惑うが、それも一瞬だ。
「シャワー、浴びてきます」
 頭を冷やすべきだった。
 一体何が言いたかったのかさっぱりわからなくなってしまったから。
「ああ中尉、言い忘れだ」
 ベッドから立ち上がろうとしていたリザはロイを振り返る。彼は戸惑っている子供のような目をしていた。どうしたらいいかわからない、そんな瞳。
「『泣く』という行為は君が言うほど悪いものじゃない」
 ああ、本当に彼はどうしようもない。
 リザは無言でベッドから立ち上がった。どうやってこのまま追い出してやろうかと考えながら。
 痺れの残る足先が少しだけ震えた。
 涙は、やはり出そうで出なかった。




 




 *POSTSCRIPT*
 ちょっぴりエロで。でもエロっていうほどエロでもないので普通に表に置いておきます。
 最初これ次の新刊用に書いてたんですけどね、あんまりに淡々として動きがなかったんでサイトの方にアップです。だってなんていうかもう二人ともベッドでごろごろーしかしてないじゃないですか。事後会話にしたって動かなすぎじゃないですか。しかもそれが長いったらない。
 というわけで見る人の年齢層もサイトの方が高いだろと判断した結果こっちに。
 だって思うけどロイアイ好きーってイベントで本買う若い子とかこれ読んだってあんまり面白いと思わないんじゃないだろうか…
 だってねえ、さすがに…



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