秘密




 目を覚ますとそこは天国だった。
 多分自分は死んだのだろうと思う。まずは何故行き先が天国だったのか、そこが大いに気になるところだったが、おそらく何かいいことをしたのだろう。無意識に。罪とは子猫を助けたとか困っている女性を助けただとか、そんな他愛もないことで許されてしまうもののような気がする。天国へ行く条件なんて本当はそんなものなのだ。
 見渡す限りの花畑。晴れ渡った空。暖かく自分を包む日の光。そのへんから天使でも落ちてきそうだ。天使はどんな姿をしているのだろう。きっと金髪で脚のきれいな美女だ。そうでなかったらついていきたくない。声が少しだけハスキーだったりしたらたまらない。お手軽な男は手に入る高嶺の花にこれでもかというほど弱い。
「いつ死んだんだろうな…」
 ふと呟いてみたけれどそれだけは思い出せなかった。ここには誰もいない。どこにもいけない。恐ろしくて下手に踏み込むことはできない。美しい世界の裏側はいつも醜いのだ。そしてその二つはいつも比例するということを彼は経験則的に知っていた。
 目を伏せると違和感があった。足がくすぐったい。ティッシュのこよりでくすぐられているような。それよりも、何かの動物の毛のような。実態のないそれは体の上を這い回る。
 頬を舐められた。何だこれは。


「……」
 目を覚ますとそこに犬がいた。
「………ブラックハヤテ号」
 まだ子どもの犬はくぅんと小さく鼻を鳴らした。人のベッドの上に乗りかかってくるとは何事か。
「お前は躾がなっていないんじゃないのか?どうして寝ているところを起こすんだ」
 まったく、ロイはぶつぶつと文句を垂れながらもブラックハヤテ号を抱えて起き上がる。
「せっかく人がいい気持ちで…」
 ロイはそこで口を噤む。見上げるとそこには飾り気のない白い天井があった。いい気分で寝ていたのは確かだが、夢見が良いとは言えなかった。そう思い直してロイはブラックハヤテ号の頭を撫でる。
「やっぱり今日ばかりは正解だ。お前は賢いよ」
 もがく子犬を床に放してやると、彼はそのまま飼い主の元へ走っていく。うらやましいことだ。あんな風に素直に駆け寄ることができたらどんなに、とは思っても実行はできない。それだけ年を取ったし彼女もそれを望んではいない。基本的に自分たちは合理主義なのだ。
「おはようございます」
 リザの声がキッチンから聞こえた。
「おはよう」
「何か食べますか?」
「ああ。頼む」
 足元に子犬をまとわりつかせてリザが朝食の載ったトレイを運んできた。トーストに目玉焼き、サラダにスープ。リザ・ホークアイは典型を好む傾向がある。
「ありがとう」
「いえ」
 言うことが何もなくなってしばらく黙り込む。リザの良いところは黙っていても気にしなくていいところだ、ロイは思う。黙っていても関係が成り立つのは付き合いが長い証拠だ。きっと彼女なら結婚してもやっていけるような気がする。これからも今も、それがありうるかどうかは分からないけれど。しかし――ロイはリザを見た。彼女は犬にエサをやるために立ち上がったところだった。リザの飼い犬に対する愛情も典型だ――彼女はイエスと言わないだろう。それが彼女の典型だ。
「中尉」
「はい?」
「…なんでもない」
 リザは訝しげな顔でロイを見つめた。一度だけ何か言いたそうに口を開いたが、それもすぐに閉じてしまった。
 ブラックハヤテ号だけは何も思わずにエサを貪り食っている。リザはロイから目を離すと、ブラックハヤテ号に集中し始めた。  天国で一人だった夢を見たことは忘れて、一生の秘密にしよう。ロイは思った。これから先の世界で誰にも出会えないような気がしたからだ。あれは錯覚だ。錯覚に違いない。コーヒーを手渡すこの女にしては無骨な手が失われないことを心から祈った。


 



 *POSTSCRIPT*
大佐ブラハに負ける。リザちゃんは大佐にエサをあげると放置でブラハにはエサをあげた後もかまいます。そこだけです。それだけです。



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