ハニーバニー




 待つというのは過酷なものだ。それを知ったのは潜水艦乗りの彼氏をゲットしたとき。それが少し楽になったのは結婚したときだった。
 やはり妻というのはただの恋人とは立場が違う。相手と自分の気持ちを確かめ合った結果だし、住む場所も環境も変わってご近所付き合いに忙しくなったために良い意味で暇がないということもある。しかしやはり新婚家庭なのに夫がもう4ヶ月帰ってきてないというのは切ないことには違いないのだ。なので夫との唯一の交流であるメールが楽しみで楽しみで仕方ないわけで。
『久しぶりです。元気ですか?今日は夏木とケンカをしました』
 前回のメールを読み返す。相変わらず三行だ。どんなケンカか書いてくれればちょっとは面白いかもしれないのに。深追いできないから仕方がないけれど。でもどうせあっという間に、いつの間にか仲直りしているはずだ。男の友情とは不思議なものである。
『久しぶり。元気です。ハルこそ元気?ケンカでケガなんかしないでね。仲直りは早急にすること!』
 自分の送信メールを見てちょっと反省。せっかく珍しく一方通行でないメールだったのに、甘いことを何も書いてない。最後に一言心配ですとか、会いたいですとか大好きとか書いていたら、もう少しラリーが続いたかもしれない。
 せめて読み返してにやにやできそうなメールを送りたい。そうすれば航海中にも聡子のことを思い出す回数が増えるんじゃないかというあざとい考えもあったりするのだが。
 そう考えていると電話の着信音がなった。表示されている名前は、ハル。
「もしもし?」
『あ、聡子?今戻ったよ』
「ほんとに!?」
『嘘ついてどうするのさ』
「いつ頃帰ってこれるの?」
『実はね、今帰るとこ』
「分かってるならもうちょっと早く言ってよ。どんだけ待ってるか分かってるくせに!」
 それを言った直後に、これは言えないことだったのかもしれないと気付いて少し青ざめる。
 ――また、こんな失言。
『ごめんごめん。次からは入港したら連絡する』
「…それ、連絡しても大丈夫なこと?こっちこそ失言でした。ごめんね」
『大丈夫大丈夫、入港しちゃえば問題ないよ』
 良かった。思わず胸を撫で下ろす。
「じゃあ今度からはよろしくね。そうしてくれたらご馳走作ったりできるんだから」
『あ、何?ご馳走作って待っててくれるつもりだったんだ。惜しいことしたなあ』
「うーん、ご馳走もなんだけど、全力で愛しい旦那様をお迎えしたいと思ってるのよ」
『了解。俺は早く愛しい奥さんに会いたいよ』
「あたしも会いたい。今はね、今は出来る限り早く帰ってきて」
『うん』
「待ってるから」
『うん』
 じゃあ切るね、と言えば冬原は愛してるよ、とベタ甘文句を返してきた。誰も周りにいないのに照れてしまう。
 まずは汚れて帰ってくる冬原のためにお風呂の準備だ。


 結婚してすぐの航海は4ヶ月。去年の横須賀の事件の時と同じだけ会っていない。今までの最短は1ヶ月だったことを考えると、今回は長期だ。
 正直なところ、いきなり長期はきつかった。
 お風呂の準備が整ったころに丁度玄関のチャイムが鳴る。聡子はいそいそと鍵を開けた。
「ただいま」
 異臭と共に旦那様登場。嬉しいやら臭いやら。
「おかえりなさい」
 それでもにっこり笑って出迎えて、なんとなくたまらない気分になって抱きついた。
「あーあ。またこの奥さんは。臭い移るぞ」
「いいよ」
 なんかこのやりとりもデジャブだわ、そんなことを考えていると嗅覚の限界がきた。
「あ、ごめんもう無理!」
「いえいえ、限界までありがとね」
「あたしがくっついてたいんだからいいのよ」
 そう言うと冬原は何か言いたそうな顔をした。
「何?」
「あんまりかわいいこと言うとおもいっきり抱き締めたくなる。我慢するの辛いんだけど」
「…じゃあ早くお風呂入ってね」
「そうする」
 冬原をお風呂場に追いやってしまえば後は洗濯をするばかりだ。お腹が空いているかもしれないと思って簡単な夜食もすぐに用意できる状態にしてある。
「ねえ、ハルー」
 聡子は全自動洗濯機のスタートボタンを押しながらシャワーの音が響く風呂場に話しかける。
「どうかした?」
 シャワーの音が止んだ。ぺろっと言ってしまえば大したことないのに、何だか緊張してきた。
「あのね」
 洗濯機がごうんごうんと機械音を奏でている。
「あたしもお風呂一緒に入っても、いいかなあ」
 語尾がなんとなく尻すぼみなのはご愛嬌。こんなこと今まで言ったことがない。ていうか恥ずかしがってどうする。余計恥ずかしいじゃないか。
「いいよ」
 即答だった。あんまりにあっさりしているから驚いたくらいだ。
「いいの?疲れてるし一人で入りたいとかそういうの無い?」
「無い。今聡子が来てくれたら嬉しい。すごく嬉しい。早く来て。早く」
 そんな深く考えることはなかったのかもしれない。
 着替えを取りに一度寝室に行く。
「さとこー、早くー」
 お風呂場からでっかい声。聡子は4ヶ月待ったというのに何故冬原はこの30秒が待てないのか。
「はいはーい。今行くから」
 そう言いながらちょっとゆっくり支度する。焦らしてやるのもスパイスだ。
 たまには思い知ればいいのよ、ひとりごとを呟くとめっきり自分が寂しくなったような気がして嫌になる。でもきっとそんな思いはすぐとろとろに消えて無くなってしまうから。
 お風呂場に行くと遅いと軽く怒られた。冗談みたいに言うものだから分かりづらいけれど、これは割と本気で拗ねている。
 今度から毎回一緒にお風呂入っていちゃいちゃしたいなあと言ったら、帰るのが楽しみになりすぎちゃうよ、と言われた。
「航海に出たくなくなっちゃったらどう責任とってくれんの」
「大丈夫よ。ハルはクジラが大好きだから。それに一緒にお風呂は帰ってきたときのスペシャリティ」
 くすくす笑って言ってやると鼻の頭にキスされた。
「ハルっ」
 じゃあ上陸中は毎日ね、なんて調子に乗ったことを言うものだから、お返しにほっぺにキス。なんだかんだで、奥さんは旦那様に甘い。












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