キスしてさよなら




 帰り際には手の甲に一つだけささやかなキスを。
「それではソフィー、また」
 笑って答える彼女は余裕の表情。少しだけ申し訳なさそうに見えることだけが唯一の救いだ。
「ええ、また来てね」
 ソフィーはあわててマルクルとヒンを呼ぶ。荒地のマダムには一足先にご挨拶を済ませたのだ。
「カブ、もう帰っちゃうの?」
「マルクル。王子様にカブだなんて」
「いいんですよソフィー、それがここでの私の名です。あなたがつけてくださったんだから」
 そうかしら、ソフィーは目を伏せた。
「そうだ、ハウルには…」
「いいですよ。彼に会う機会はいくらでも作れる」
 恋敵と張り合うのも今日ばかりは疲れてしまった。
 愛しい、愛しい愛しいソフィー。あなたはきっと何も気づかないのでしょう。何も知らずに過ごすのでしょう。このキス一つがどんなにこの身を救っているかだんてあなたにはわからないのでしょう。
 彼は少女という生き物が得てして残酷なものであることを知っていた。
「それでは」
「お仕事がんばって」
 こうしているといつぞやの会話を思い出す。あれはこの城に初めて人の姿でやってきた時のことだったと思う。やっと彼女に会えた日の感動は言葉にならない。みんな大歓迎をしてくれた。一人を除いて。
『シンデレラみたいね』
『私が?』
『そう、あなたが』
 あのときの彼女の一挙一投足を間違いなく思い出せる自信があった。どんなに時間が経っても。細い指が深い色をした紅茶のカップに触れるのも、伏せた目にかかる長い睫毛の影も、こぼしたため息さえも、何もかも。
『あなたがシンデレラのようだという方が納得できますよ、ソフィー。魔法使いに助けられて綺麗になって。どうですか?このまま王子様と結婚するというのは』
『ふふ、冗談ばっかり』
 冗談じゃないんです。本当は。きっとあなたは気づいてくれないでしょうけれど。
『時間がきたら楽しい時間は終わりで帰らなければならなくて、それからはお仕事が待ってるんでしょう?それもたくさん。ほら、シンデレラみたい』
『……実はこのまま帰りたくないくらいなんです』
『帰る話をするにはまだ早いかもしれないわね。今日はどれくらい居られるの?』
 あなたが望むなら、いつまでも。
 言いたい言葉は何一つ声にならなかった。言いたくても言えなかった。わかってもらいたいとは思わない。そんなのはただのエゴだ。けれど少しだけその肌に髪に唇に、ほんの少しでいいから触れたいと思うことさえ許されないなら。
「またすぐに来ますよ」
「ええ、さようなら」
 浮かない顔をしないで。勘違いしてしまいそうになるから。
 手の甲のキスを見逃さないで。哀れまれている気分になる。
 シンデレラのようなんて、どうかどうか言わないで。



 




 *POSTSCRIPT*
 久々に映画版で。カブ大好きです。っていうか彼の登場の瞬間三角関係キター!とおおいに沸いたりしましたですよ。しかし何を書こうとしても切ない話になってしまうね彼は。



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