コギトエルゴスム




 誰かが言ったことにも見せかけだけのものも好きではない。信用できるのは、自分と、それからよく知り定めた人間、相性の良い道具、それだけだ。けれどその信用も無条件というわけでは無くて、できる限りは追究することにしている。最終的に一番信用できないものがそれらだということを知っていたからだ。
 特に自分なんて分かったものじゃないわ。リザは溜め息を吐く。上司のために用意しているコーヒーに虫でも混ぜてやろうか、と少しだけ思った。
 ほら、やっぱり信用できない。
 あの人のおかしいところ――おかしいというか理解しがたいところ――は、簡単に人を信じすぎることだ。彼は彼なりに考えているようだけれど、信用に値する人物の枠がリザに比べると驚くほど広い。そうであるべきだ、と頭の中ではわかっていても、やはりこれはリザにとって脅威だった。
 コーヒーを淹れて廊下に出る。これといった事件の無い午後はどうにも締まりがない。これが夜になったら大忙しになるなんて思えないくらいに。
 東部の情勢はすこぶる悪い。戦争後だけに治安も最悪だ。特に軍人が、それも地方の成り上がりが大手を振って闊歩している。許されることではないがある程度の腐敗は必要なものだ。ある程度、に保つのが大変なのだが。
「ホークアイ少尉!」
 後ろから声をかけられて、リザは手元に注意しながら振り返る。
「ハボック准尉」
「中佐のところですか?」
「ええ」
 呑気に話しかけて来る彼はあの人が認めつつある人物なので、無下にはしない。実際現場では頼りになるし腕もいい。
「俺も行くところなんです。ほら、この前の強盗殺人の報告書、あれ提出しようかと」
「錬金術も絡んでいた事件よね。ついでだから私が持っていきましょうか?」
「え、いや、でもいいんですか?」
「別にいいけれど…」
「あー…ありがとうございます」
 こんなときでも欠片も申し訳なさそうにしない彼には少しだけ好感が持てた。嘘がつけない人だとわかるから。しかし嘘は巧い方が有利ではあるのだ。何事も。
「あ、それから少尉」
 ハボックは周囲を軽く見回すと、リザの耳に小声で囁いた。
「首。隠した方がいいですよ」
 思わず首を押さえると彼は笑って、そのまま行ってしまった。
 今度からインナーはハイネックにしよう、と思いながら、リザは軍服の襟を整えた。

 この痕が誰がつけたものであろうと彼は気にしないに違いない。気にしたとしても、見ない振りをする。そういう人だから。それはとてもありがたくもあったけれど辛くもあった。どうせなら責めればいいのに。なじってくれればいいのに。けれど彼はそれをしないし、そもそもできないのだ。その程度のことで――その程度だ、あくまでも――リザを責める理由が、彼にはまったく無い。
「失礼します」
 持っているものを落とさないように慎重にノックをする。 「入りたまえ」
 リザは黙って執務室の扉を開ける。中の空気は生温く、どうにも不快だった。生温い空気の正体は窓を閉め切っていたせいか、それとも別の何かか。
「そろそろ休憩か?」
「休憩というほどでもありませんが。コーヒーを」
「ああ、ありがとう」
「いえ」
   ロイは机の上にコーヒーを置いたリザの首筋に目を留める。けれどやはり彼は、何も言わない。
「何か?」
「いいや、何でも」
 ロイはすばやく目をそらしてカップに口をつける。
「温いな」
「それは申し訳ありません。それに、追加です。先日の強盗殺人の報告書」
「ああ」
 ロイはそれを手に取るとぱらぱらとめくる。
「これを書いたのはハボック准尉か?」
「ええ、そうですが」
「字が汚い」
「文句が多いですね今日は」
「気分が優れないんだ」
「ではどうぞ、早く仕事を終えて帰るようにしてください」
「厳しいな」
 ロイはそれを机に投げ出すと、椅子にもたれかかった。眉間の皺が今日はことさらに深い。
「ハボック准尉はどうだ?」
「よくやっています。字は汚いですけれど実戦で使えます。それから人望も厚い。人柄ですね」
「君にそこまで言わせるとはやるな」
「…どうしてそうなるんですか」
「君の基準は私やヒューズなんかよりもよっぽど厳しいからだよ。私にしてみれば奴はすでに合格ラインに入っているからな」
「甘いですね」
「君が厳しいだけだよ」
「私は貴方の判断に従います」
「ああ、そう言うと思った」
 何だそれは、そう思ったけれど彼は黙ってコーヒーを飲み干す。窓の外は曇天模様、もうすぐ雨が降りそうだ。空気が湿気ているのはこのせいかもしれない。
「……貴方は甘いんです」
 だからいつでもこうしていなければいけないのだ。無条件に誰かを信じるなんてできない。無条件に信用できるのも信頼できるのも愛することができるのも彼一人だけなのだから。
 聞こえていたはずだけれどロイは何も答えなかった。できるならば誰もいないところで二人だけでいられたなら、そうすればきっと安らかだったのだ。けれど彼はそんな人ではないしそれを許しもしないのだから。
 空は曇天模様、もうすぐ雨が降る。



 




 *POSTSCRIPT*
 過去話にしてみました。
 コギトエルゴスム、我思う故に我ありですけどもなんていうかタイトルと内容ちょっとっていうかかなり食い違ってる気がします。いやまあね、何とかしようとはおもったけどもなんともできなかったというのが本音。まあいいかとばかりにアップ。久しぶりの新作がこんなショボくてすいませ…!



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