首 その首に手をかけて、いっそ殺してしまいたい。 遠くで電話が鳴っている。 ベッドの上で朦朧とした意識のまま、目を少しだけ開ける。窓からの光がまぶしい。 電話が鳴っているのは思ったより近いようだ。 それも当たり前か。この家に電話は一つしかない。しかもそれがあるのは隣の部屋だ。 上体を起こし、ぼんやりした頭で電話を取るために部屋を出る。隣りで眠っている彼女を起こさぬようにとの配慮を一応しながら。 「…もしもし?」 『大佐でいらっしゃいますか?』 その声に驚いた。まさかホークアイがロイの自宅に電話をかけてくるなんて。 「珍しいな。どうしたんだ?」 『……時計を見ましたか?』 「………時計?」 振り向いた先にある壁掛け時計。それを一瞥し、ようやく気づいた。 現在時刻午前十時三十分。 今日は非番ではない。仕事だ。しかも通常通りの時間で。 『休むならせめて連絡を入れてください』 「いや休むつもりはないんだ。すまない」 『一体どうなさったんですか?』 訊かれるかもしれないとは思っていたが、少々答えづらかった。 「大した事ではないさ。寝過ごしただけだから」 『…………』 受話器の向こうの相手が怒っているのを感じ取れるというのは嬉しいことか悲しいことか。出勤してからの悲劇を物語っているかのようだった。 「いつもならこんなことはないのだが」 『いつもあったら困ります。仕事ですよ?今忙しいんですよ?自覚はありますか?』 「お説教はそっちで聞く。今は勘弁してくれ」 これから支度をして出勤だ。しかも厳しいお説教と書類の山が両手を広げて待っている。 『なるべく急いでくださいね』 「ああ、すまなかっ……」 「ねえどうしたの〜?」 タイミング最悪。受話器の向こうにまで聞こえるような声を出して、昨夜のデート相手が顔を出した。 『…………』 ホークアイは明らかに怒っていた。無言の圧力に体が強張る。受話器の向こうから冷気が流れ込んできそうだった。 「起きたなら起こしてくれたって……ああ、電話だったのごめんなさい」 謝ったところでこの気まずさが拭えるはずもない。その甘ったるい声がただただ憎たらしかった。きっと彼女の声はしっかりとホークアイにまで聞こえているはずだ。 「ええと、これはだな……」 『大佐、私お邪魔でしたね』 「いやそんなことは――」 『大佐』 言葉を途中で遮られる。言い訳も思いつかない。 『どうぞごゆっくり。もう来なくていいですから』 ホークアイの声はひどく冷たく、どこか無機質だった。 いっそ首に手をかけきゅっと絞め殺してやりたい。 自分が東方司令部の実質上の最高司令官だという自覚はあるのだろうか。長年ここに勤務してきて、これほどまでに上司を憎たらしいと思ったのは初めてだった。 ああ本当に撃ち殺してやりたい。 いっそ絞め殺してやりたい。 何度でも殺してやりたい。 しかし彼は殺人計画を練ったところで簡単に死んでくれるような男ではない。さんざん空回りさせた挙句に、問題やら仕事やら迷惑な痴話喧嘩の後始末やらを押し付けてゆくに違いない。 今日はもうあの男は頼らないことにする。いなくとも仕事がまったくできないわけではない。どこかで引っ掛けてきたのか、もともと付き合っているのか知らないが、よろしくやっていればいいのだ。山ほどいるデート相手の一人と。 これは嫉妬? ふざけるな。そんな事あってたまるか。憎たらしい。 上司の趣味にどうこう言うつもりはない。悪趣味だとは思うけれど。ロクデナシだとは思うけれど。 褒められるのは仕事だけの人間性に乏しい錬金術師なんて、クソくらえだ。 ホークアイはロイが処理すべき書類の山をまた一つ作り上げ、次の仕事に取り掛かった。 ロイが出勤してきたのは、それからまもなくの事だった。 「やあ、おはよう」 ぬけぬけと笑って彼は言う。 「おはようございます。てっきり今日はお休みだと思っていました」 彼女を一人にするものではありませんよ? 悔しいから(?)にっこり笑って言ってやる。 「大丈夫。彼女本命じゃないから」 むかつくことに、ヤツもにっこり笑って返してきた。 「遊びすぎは体に毒ですよ」 「知ったようなことを言うんだな。経験が?」 「その発言はセクハラとみなします」 いつもこうだ。 しかしせっかく来たなら仕事もしてもらわなければ。 「とりあえずこれだけ目を通しておいてください」 机の上にどさっと書類をのせる。表面だけ整理されていていつもは何も無い立派な机は、一瞬にして重要書類という名の紙切れ置き場となった。 「とりあえず?」 「要するにまだまだあります」 「……そうくると思ったよ」 彼は無言でその書類に目を通し始める。 遅刻したことも、女性についての言い訳も、何も言わない。 「大佐」 「何かねホークアイ中尉」 ロイが顔を上げる。待ってましたと言わんばかり。 「……やっぱりいいです」 マジメにやっているところを遮るのも嫌だ。 「何なんだ。気になるじゃないか」 「お気になさらず。たいしたことではありませんので」 「そうは思えないな」 「でしたら思わないでください。その方が何かとお互いのためかと」 殺してやりたいなんて言ったらあなたはどうする? ――引くでしょう? 「本当に何を言おうとしたんだね君は」 「言っていいんですか?」 「ちょっと待った」 何を言おう。あまり考えていなかった。なんとなく口を突いて出そうな言葉は、一度とどめてしまうとなかなか出てきてくれない。 「……言ってくれ」 「大佐はどれだけ浮気なさってるんですか?」 訊くことは思っていたのとまったく別のこと。 「は?」 「今日の方は本命じゃないのでしょう?でしたら何人デート相手がいらっしゃるのかと思って」 ロイがにやりと笑う。 からかえると踏んだのだろうか。そんなことは絶対に無いのに。 「気になるのかね?」 「ええ、気になりますね」 どうでもいい。本当はまったくどうでもいい。 「妬けるのか?」 「いいえ。何故私に妬く必要が?」 あなたと私の駆け引きは、いつでも無駄なことばかり。 「何故妬いてくれないんだ?」 「私は大佐とお付き合いしているわけでもなんでもありませんので」 私はただのあなたの補佐官ですから。 「ひどい言い草だな」 当然です。それ以上でも以下でもないんですから。 「そうですか?」 ため息をついて、ロイが今度はにっこりと笑う。 「今度君も私とデートしてみるかね?」 「絶対嫌です」 バカなことを訊いたと思った。 事実それでバカを見た。 本当に言おうとしたことなんてもっとバカらしい。 それこそ本当に、完膚なきまでに、この男を殺してしまいたいと思うほどに。 近づいた時ちらりと見えた首筋のキスマークに、やはり絞殺しかないなと思った。 |
*POSTSCRIPT* 最初のくせに何故か皆さん凶暴ですね! 最初はこんな予定じゃなかったはずなのに。 でもまあそんなもんですよ。いいよもう。 こんな感じでやってきます。 |
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