鈍色の病




 古い友人に会って一番気になったのは爪だった。長い爪をしている。そして年相応に程よくけばけばしい。自分がけしてできることではないから憧れる、というわけではなく、ただ邪魔そうだ、とそれだけの思いだ。
 気になったとはいえ、その手が動いたのは一瞬だった。帰り際。手を振る彼女。髪の隙間からは香水のにおい。長い爪。赤いくちびる。ふくよかなそれはとても素早く激しく動いて止まることを知らない。
 また会いましょう、一言だけ残して彼女は去るけれども、きっと二度と会わないだろうと思った。
 それが災難の最初。

 君に渡したいものがある。そう言われて執務室に連れて行かれたのはその日の昼のことだった。リザの上司であるロイ・マスタング大佐は女の部下に簡単にプレゼントなどはしない。最近の若い事務員などはいつもそのセリフに期待させられるらしいが、必ず憮然とした表情で帰っていく。結局、そこで何があろうと渡されるのは書類だけなのだ。社交辞令の甘い言葉が降ってくるだけ、彼女たちは幸福だ。
「これなんだが」
「はあ」  何気なく机に置かれたのは小さな小瓶だった。書いてあるアルファベットを目で追うがどういう意味なのかはさっぱり分からなかった。外国土産らしい。
「どこかお出かけになったんですか?」
「この時期にどこかにお出かけできるはずがないだろう。もらったんだ」
「そうですか。では自慢?」
「どうしてそうなるんだね」
「珍しいものだから見せびらかしたかったのでは」
「渡したいものだと言っただろう。言質をとってみせろ」
「まさかこれを?」
 小瓶を手にとってみると裏に読める文があった。
『オードトワレ』
『注意 飲み物ではありません。お肌に合わない場合は使用を中止してください』
 ついつい顔が苦虫を潰したようなものになる。
「気に食わんかね」
「ええ、大いに」
「君がそうまで言うとは。相当だな」
「私は貴方に正直なんです」
 読めないと思っていた言葉ももしかしたら読めるものなのかもしれない。なにか、こう、洒落た読み方をしなければならないだけで。
「知らなかったな。君は香水が苦手か」
「苦手ですね」
「何故と聞いても?」
「大した話では無いですよ。どうせ戦場に出るのに、香水なんて持っていても邪魔なだけだと思ってるんです。使わないから減りませんし。部屋に何年も置いておくのも嫌でしょう」
「いいじゃないか。観察してみたまえよ。課題『香水は腐るのか』」
「そう仰るなら大佐がどうぞ」
「お断りだ」
 リザは小瓶を机の上に戻す。ロイはそれを手に取ると机の中にしまった。きっとこの小さな香水はふさわしいどこかの誰かの元へ行くことになるのだろう。腐るのかを観察されることなく。
「手間をかけたな」
「いいえ」
 外に出れば砂塵。強風に煽られて目がかすむ。遠くで燃える人のにおいが漂ってくる。今もリアルにそれが残っている。リアルにそれを残している。それを作り物で消す気は、今のところない。
 美しいものはあの世界を知らない人間が持っていればいい。友人のように、屈託なく笑う長い爪の女たち。その代わりこちらの世界のものは何一つとして渡しはしない。どうあっても、決して。それが自分の義務なのだ。どうせ煙を厭うようなゆかしい女にはなれない。



 



 *POSTSCRIPT*
 中尉は香水が嫌いだといいと思います。香水ネタをリクエストされながらこの発言はケンカ売ってるのかとも思えますがそうでなく。単純に中尉は香水とか化粧品とかそういうものはあんまり傍にないような気がして。身を飾るのは泥と硝煙で充分、とか。かっこいいかなーと。女は捨ててますけどね(苦笑)
 で、これのどこがロイアイかと言うとこの香水は本当はわざわざ大佐が買ってきたやつだったりするところです。誰も知らない気づかない。のでおまけの後日談↓(全部こんな調子だよ…もうぐだぐだ…)

 扉が静かに閉まるとロイは机の上で組んだ手に額を押し付けた。長く長く溜息が漏れる。
「失敗した…」
 何が欲しいかと先に聞いておけばよかっただろうか。いやしかしそれではさりげなさがなかった。ばれてしまったら元も子もない。というか、十中八九、
「受け取ってもらえんだろうなあ…」
 ロイは机の中に思わず突っ込んだ香水のことを思う。リサーチくらいしておくべきだった。こればかりは絶対だ。
「あー失敗した失敗した…」
 左右に身を揺らしてみるがどうしようもない。終わったことだ。次を前向きに考えた方がいいのかもしれない。しかしそれには大きな問題もある。彼女があくまで自分自身をロイの守備範囲外であると決め付けている点だ。だからこそ何も気づかない。残酷だ。これで気づいてたりしたらどうしよう。そしたら彼女はSだ。こうなったら自分はMになるしかない。マスタングのMはマゾヒストのMなのだよはっはっは………洒落にならん!
 物事は都合良く考えないと前には進まない。悪く考えると考えすぎる傾向にある自分のことを思うとなおさらだ。
(…次はいっそ指輪で)
 余計もらってもらえないだろう結果に、彼はまだ気づかない。



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