扉の向こう




 夕暮れに程近い。
 日は傾き始め、窓からは光が色濃くなっている。そんなとき、絵を見てきたよ、とロイはぽつりと呟いた。
 彼はプライベートを彼女に語ることはあまりない。交遊関係が女性関係と同じであると言っても過言ではないからだ。それは彼女もよく知っていたため、何も言わずにいた。何か言ったところで彼が反応するとも思えなかった。
 公私の区別は明確に。
 彼はそんな言葉を体現しているような人だった。
「絵、ですか?」
 リザは今までそれらにさほど興味がなかったため画家の名前を言われてもわからないことに気付いた。彼女にとっては生そのものの美しさが至上だった。戦場で気が狂いかけながら気付いた、生きていること。
「私もよくは知らんがね、戦場の絵ばかりを好んで描いてる馬鹿者の絵だ」
「…悪趣味ですね」
 リザは軽く目を伏せる。あんなものを好き好んで描くなんて、見るなんて。
「そうだろう」
「貴方がですよ」
 例えばイシュバール殲滅戦。
 あれほどまでに悲惨な光景を目にしておきながらまだ虚構に縋るのか。
「ああ、わがままを言われてしまってね」
 誰に。
 そんなことをリザは言わない。言えない。
 彼女が口を出すことではないからだ。
「そうでなければ行かなかったのですか?」
「相変わらず直球だな君は」
 非難をこめたわけでもなかったが、ロイはそう感じとった。どこかで責めていたのかもしれない。
「その画家はこれを見て少しでも戦場を知るがいい、と言ったらしい」
 しかし画家に本当の戦場がわかるのだろうか。画家は軍人が殺戮を犯しているときそこに行ったのだろうか。軍人や難民や、戦地の人々でない彼の人が理解しろと、その言葉を吐くのか。
「それは…」
「傲慢だな。今の軍事国家を否定していた。まあ、その言葉が嘘か真か、我々に知る術はないがね」
 リザは訝しげに眉をひそめる。それは一体どういうことか。
「その画家は随分前に他界している。残念なことだ」
 ロイは机の上で手を組んだ。逆光でよく見えなかったけれど、微笑んでいたようだった。
 ああ、この人のこういうところがいつも恐ろしいのだ。
「私は畏怖を与えるだけの存在かね、ホークアイ中尉?」
 否定してほしいのだ。きっと。
 彼はいつも強い振りをしているけれど、時折本性を見せる。
「おそらく――敵にとっては、確実に」
 リザは簡潔に答えた。これは彼の求めていることではなかっただろう。なかっただろう。けれどリザには真実を答える義務があった。
「君は本当に直球だな」
 いっそ泣いてしまえばいい、と言いたくなるような顔で、ロイは呟いた。
「優しく慰めてくれる誰かをお求めでしたら他を当たってください」
 慰めることなんかできない。できるのは突き放して自力で立たせること、それだけだ。
「私を甘えさせてくれない女性はきっと君だけだよ中尉」
 ロイはそう言うと目を伏せた。
 リザは小さくうなづいて執務室を退室した。


 扉がパタン、と静かに音を立てた。
 リザは扉にもたれて両手で顔を覆う。
「どうしろっていうの…っ」
 きっとロイはこの扉の向こうで目を伏せているだろう。椅子にもたれているだろう。泣きそうになっているかもしれない。そうさせたいわけではない。そんなことはけして望んでいない。
 ずるずるとリザはその場にへたりこむ。こんな醜態、彼にはけして見せられない。
 扉の向こうを覗きこむことはできなかった。そこにはきっと恐怖や後悔や嗜虐心や、そんなものが渦巻いているに違いない。



 




 *POSTSCRIPT*
 彼はどうしていいかわからなかったので彼女に尋ねた。
 彼女はどう返すのかわからなかったので残酷に彼に接した。
 慰めることは求めていないはずなのに突き放されるのは嫌だというのはこれどういうことか



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