止まりて我を忘るるは
In a Trance




 居眠りをしている女を見つけたのは偶然だった。しかもその時に限ってその女がいつも被っている笠さえ脇に除けてあり、襟元が乱れていることからここで何かがあったことは間違いない。そしてその何かは彼が部屋にはいる直前にここから出て来た坂本辰馬に関係することに間違いはなく、そういうことであれば『何があったのか』にも想像がついた。難儀なことだ。人のことは言えないが。
 女は眠っている――眉間に皺を寄せて。
 まったく、難儀なことだ。
 客が来ていることすら奴にとっては無意味なのか。しかも、その客がどこへ侵入しようともおかまいなしとは、流石に問題であろう。古馴染みの気安さがあって油断しているということは到底考えられない。彼は奴の女を、目の前で不機嫌に眠るこの女をつまみ食いしたことがあるからだ。さして気にした様子も見せなかったのはポーズかそれとも動揺か。これで本当は何の関心も無かったというのならば笑える結果だ。その瞬間この女の意義も為したことの価値も消え失せる。大した道化だ。女を貶めることにかけて、奴に敵う者はいない。だからこそ病気を移されもするのだが。
 女の顔は怜悧だった。鬱陶しく長い髪が邪魔だ。これでは重要なところが何も見えなくなってしまう。長い睫毛も小作りな唇も真白の肌も。
 髪をかき上げても起きる気配はなかった。それをいいことに彼はその頬に手を近付けた。触れることまではかなわず、熱が伝播しそうなほどの距離でただそこにいる。
 その肌に触れたことはあった。そして今もそれはできる。不可能なことではない。しかし彼は傷つけずに触れる方法をただの一つも知らなかった。
 女が身動ぎをした。首筋が露になり杜撰に着付けられた着物から鎖骨がのぞいた。そしてその真下には赤い鬱血。彼はそこに指を這わせた。触れればどうなるかわからなかった。ただの好奇心だろうか。ただの情動だろうか。これを抉り取ってやったらどんなにいい気分だろう。
「起きろ」
 高杉は呟いた。今ここで女が起きれば彼からそんな気は失せるはずだ。
「起きろクソ女」
 鎖骨を砕いてやろうか。それとも乳房を切り落としてやろうか。
「陸奥」
 陸奥は起きない。高杉は手を離した。脅してもすかしても無駄だ。
 すう、と息を吸い込むと煙管がかたんと音を立てた。煙が宙を舞う。
 衝動とも言えぬ思い付きで身を滅ぼすつもりはなかった。事実、その思い付きを実行したところで彼に得は無い。損することはあれども。すべては無為だ。
 彼は立上がり、物言わぬ女を置き去りにして障子を閉めた。

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