約束をしよう




 横須賀の事件から三ヵ月、あんな事件が起きても日は上るし沈むし、社会人だから仕事もある。
 聡子にとっては三ヶ月前だろうが後だろうがそこまで変わりはしない。変わるとすれば上司の態度くらいだが、それもごく些細なことだ。
 一方冬原にしてみれば、舞台が現在の職場と全く同じであるせいか(親友、いや悪友の非常にもったいないリリースのせいでもある)、頻繁に『そのとき』を思い出すことがあるらしい。
「で、そのガキがクソ生意気でね。夏に押し付けたけどやっぱりイライラしちゃったからついつい毒を吐いちゃって」
 なので時折思いついたように『そのとき』の話をする。辛かったいくつかのことを巧妙に隠して。
「ハルの毒じゃ子どもには酷じゃないの」
 不器用なんだか器用なんだかよくわからないな、聡子は思って冬原の髪を梳く。
「あれ、聡子には俺毒吐いたことないけど」
 おっかしいなあ。冬原は呟くが、少々白々しい。
「ハルの性格考えたらわかるわよ。怒ったら手ぇつけられないタイプだもん。パッと見怒ってるように見えないからみんな気付かないし、その分迫力あるし痛いし」
「…聡子さんには敵いません」
 冬原は定位置のぬいぐるみの腹に顔をうずめる。
「ああもうだから頭のあとついちゃってるからやめてってば!」
「やーだー」
「駄々こねないの!」
「聡子はいいお母さんになりそうだよな」
「…何よ、急に」
 ついつい身構える。そして緊張する。だってそんな。お母さんだなんて。
「いや、なんとなくそう思った」
「…ハルが時々子どもみたいだからじゃない?」
「いやいや。大人の男ですよ俺は」
「こっそり少年の心を持ち続けてるだけよね」
「…ああもう。相変わらずチョロくないよねえそういうとこ」
 冬原はぬいぐるみを放り投げてベッドに突っ伏した。
「どうしたのよ大人の男」
 珍しい。冬原のこんな様子を見ることは滅多にない。
 聡子は面白くなって冬原の背中にぺたりと抱きつく。
「保父さん役やったんでしょ?実は少年同士意外と気があっちゃったんじゃないの?」
「俺より少年な大人がいたからそんなことないよ。それに俺子どもそんなに好きじゃないし」
「ああ、そうなんだ」
「うんそう」
 いいお母さんになれそうなんて言われた直後に子どもがあんまり好きじゃない。ちょっとだけショックだ。将来二人がどうなるかなんて考えたこともなかったけれど、やっぱりずっと一緒に居られたらいいなあとか、何かあったとき連絡のくる立場になりたいなあとか、漠然とそんなことを考えていたから。
 けれど実際こんなことを口に出したら、正直重い。それで冬原に変な誤解をされたりするのだけは避けたい。
 聡子が背中に頬擦りすると、冬原は体を聡子の方に向ける。ここぞとばかりに聡子は冬原の背中に手を回して抱きついた。
「どうしたの」
「別に。甘ったれたくなっただけ」
「聡子も大概人のこと言えないね」
「子どもっぽいってこと?」
「いやいや。大人の女ですよ聡子さんは」
 やっぱりなんだか白々しい。クスクス笑って言うから余計に。
「なあんか、嫌な感じ」
「俺はいい感じ」
 クスクスがニヤニヤになってきた。面白がっている証拠だ。
「…俺はね、よそ様の子どもは正直あんまり好きじゃないけど、聡子と俺の子どもだったらめちゃくちゃに可愛がる自信あるよ」
 一瞬時間が止まった。呆然としていると冬原が聡子の額にキスをする。
「…深読みしていい?」
「今のどこに深読みする要素があるのかわかんないけど、どうぞ」
「あたし今泣きそうなんだけど」
「珍しいね予告してから泣くの」
「いつもハルがあたしを泣かすのよ」
「うん、ごめん」
「何で謝るのよバカっ」
 涙が。零れ落ちるのを必死で堪えていた涙が重力に耐えきれず頬を伝う。
「明日、一緒に指輪買いに行こう。休みもあんまりないし連絡とれなくなって申し訳ないけど、都合つけて聡子のご両親にも挨拶に行くよ」
 もう声も出ない。冬原の首に手を回して、ひたすら頷くだけだ。
「聡子」
 冬原が聡子の頬を撫ぜて顔を上げさせる。聡子はもうされるがままだ。
「愛してるよ」
 あたしも。言いたかったけれど、喉が詰まって声が出なかった。返事の代わりにキスをする。
「結婚しよう」
 はい。吐息混じりのイエスはほとんど聞こえていなかったと思う。けれどそんなことは関係なかった。ただ愛しくて愛しくて恋しくて。
 止まらない涙を拭いながら、泣き虫め、囁く声にめまいがした。













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