ゼブラフィッシュ




 低迷あるいは無限回帰。それはただ一つの死であるといえばそれまでだ。しかしそう言いきるにはどうにも覚悟が足りない。いや、足りないのは意識かもしれない。このまま足りなくなればいい。そうすれば何も考えなくとも済むのだ。何も思わなくとも済むのだ。
 狂ってしまったら楽だろうか、と彼は聞いた。私はそれは確かに正しいと感じたのではいと答える。彼は薄く笑ったけれどもけして自我を手放さなかった。狂うことを拒否していた。強い人にしかできないことだと私は思い、ただただその強さに憧れた。これ以上に強いものはきっと、迷いも悲しみも喜びも何も無い生き物の祖であるに違いない。
 私は彼が好きだった。本当に本当に好きだった。
 それは、随分と昔の話。

 明日には死にたいといつも考えている。次の日になればまた明日。その次になればまた明日。伸び続ける猶予はあらゆるものを誤魔化しながら続いていく。私の場合、それはただ一つの死である。
 腹の底に息を送り込むと呼吸が止まる気がした。隣で寝ている男を見れば暢気に眠っている。彼は意外と寝相が悪い。そのせいか、あまり熟睡しているのを見たことがなかった。今日も寝相が良いので、熟睡していないのが一目で分かった。
 彼が寝た振りをしている間はいつもそれに気づかない振りをする。それは最低限のマナーであり、義務だ。
「…嫌な夢」
 彼の黒い髪をいじりながら呟いてみると、見てもいない夢を本当に見たような気になってくるから不思議だ。人間は夢見る生き物である。と同時に、夢を信じない生き物である。
 縋るように腕を絡ませてみれば抱き寄せられた。やはり、起きている。それには気がつかない振りをして彼の胸に顔を埋める。
 男の肌の硬さは気持ち悪い。
「リザ」
 何を思ったのか、彼は寝言まで言い始めた。子どものころと同じ呼び方で声音で私を呼ぶ。あのころには戻れないことを心の底から感じ取ったのは初めて体を合わせたとき。あのころとは違うのだと知ったのは戦場で。私たちは随分と遠くまで来てしまった。強い人なのに。彼は悲しんでいる。
「…マスタングさん」
 あのころと同じように呼ぶと彼は顔を歪めた。泣いてしまえばいいのに、彼は泣かない。二人だからできることもあるけれど、二人だからできないこともたくさんある。低迷あるいは無限回帰。戻りたい。戻れない。
 何も見ないために彼の胸に強く顔を押し付けたら、少しむせた。



 



 *POSTSCRIPT*
 行き着く先がわからない。



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